読書録|2018年11月その1

こんちはー ヨシフミです。寒いね。

このごろ、朝夕はお茶やごはんが冷えるのが早くて、いよいよ冬か……と思います。
つーか今年って秋あったっけ?


---どうでもいい話---
私、子供の頃から基本テーブルと椅子の生活なので、床に座るのが苦手なんですよね。
寝転がって本読むのとかもあまり長時間できない…。家に炬燵がない。

なのでだいたいの作業は机に向かってするんだけど、
その机がね、窓のすぐ横にあるんですよ。
もう冷えちゃって冷えちゃって。

ダウン着て、上半身と下半身で一枚ずつひざ掛け体に巻いてますよ。大丈夫なのかな、この先の季節!
---どうでもいい話---


さてさて~、先月の読書録ではいろいろ取り留めもないことを書きました。

さいわい今月も本を読む時間が取れたので、やりたいと思いまーす。

けど来月の約束はしないでおくね笑
忙しそうだから笑



今月挫折したもの
・トーマス・マン『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』

今月読了したもの
・村上春樹『東京奇譚集』
・樺沢紫苑『学びを結果に変えるアウトプット大全』
・山崎康司『入門 考える技術・書く技術――日本人のロジカルシンキング実践法』
・野中健一『虫食む人々の暮らし』


読書会(後述)にも感想書いたやつがあるんだけど、ここでもいくつか紹介しまーす。


まずは挫折したやつから行こう笑





トーマス・マン『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』


これは積読本でした。3年ぐらいか? かなり積んでた。
先月はわりと海外文学を読んでたのでその流れで着手。


一編めの「トニオ・クレーゲル」

こっちは読めました。面白い……。
途中難しくて読むのが大変だったんですが、かなり好きなタイプの小説でした。

ひとつの主題について執拗に執拗に描写を重ねて、最後にスッと解決をみるような感じ。

でも、その主題がなんであるかは最後まで読まねば分からないんですね(私が愚鈍で分からなかっただけかもしれないが)。

ああこれがテーマか、と思いきや、じつはそれも登場人物の人間性をえぐり出すためのものだったりとか。
なんかこう、いい意味で振り回されましたね。

人物描写も非常にリアルだなって思いました。
トニオの気持ちわかるよ(そう言い切るところが傲慢だな~)。

あと、文学の営みに関して言及する部分は難解でしたが興味深く読みました。

それは先月読んだクンデラの『笑いと忘却の書』にも共通した感想です。

凡俗な大衆が芸術を志し、やがて批評家になるっていうのは今に始まったことじゃないんだなあなんて思ったりもしてね。私の解釈ですけど。


「ヴェニスに死す」
グォオオオ。。。
なかなかヴェニスに着かねえんだよな~、これが。

でも、なんとか着いたとこまで、ゴンドラに乗るところまでは読みました。

好きな人ごめんなさいね。これは悪口じゃなくて私の気分の問題なんです。

文学月間だった10月から今月に入り「トニオ・クレーゲル」読了、そこで実用書2冊を挟んだんですね。

そしたらなんて言いますかね、内面に沈潜していく部分や形而上学的な論考にぜんぜんついていけなくなっちゃって。

自分自身がなにか哲学的な気分を帯びてるときは苦心しても全然読めるんですけど。

これは時期じゃなかったみたいです。すみません。
またチャレンジするぞ!

波が来たら読みます。

映画が有名だから、そっち先に観るのもいいかもしれないね。




ところで

そういえば、マンの作品を読んでひとつ気になったことがありました。

マンと同じくドイツ出身の作家ヘッセの作品が好きだ、というのは先月おはなししたとおりですが、その何が好きかっていうと人物をあらわすときの表現なんですよね。

なかでも「額」に現れる人間性みたいなところがとても気に入っていて、今回マンも読んでみたら、そういうところが共通してるなあと思いました。


たとえばヘッセだと
 ハンス・ギーベンラートは疑いもなく天分のある子どもだった。他の子どもたちにまじって走っていても、どんなに賢そうで、きわだっているか、それを見れば、もう十分だった。[中略]この少年の厳粛な目や聡明な額や上品な歩きっぷりがどこからきたものか、誰にもわからなかった。
ヘルマン・ヘッセ/訳 高橋健二『車輪の下』新潮社(2012版)5頁より引用。



 郊外の町並を出はずれると、日本人は別れを告げて、とある表口の錠をあけた。デミアンはその道を引きかえした。[中略]整然とした歩調を変えることなしに、ぼくのすぐ前まで寄ってくると、かれは帽子をぬいで、ひきしまった口と、広い額の異様な明るさとを持った、昔ながらの明るい顔を見せた。
ヘルマン・ヘッセ/訳 実吉捷郎『デミアン』岩波書店(2014年版)229-230頁より引用。 


そしてマン。
 彼はその横に突っ立ったまま、右手を腰にあてがい、左手で気ぜわしく茶色の口ひげをひねっている。[中略]ひどく念の入った立派な身なりで、服は落着いた灰色の、地味な仕立てである。しかし黒い髪がひどくあっさりと、しかもきちんと分けてあるその下の、辛酸をしのいできた額は、神経質な表情をたたえていたし、南国風の輪郭をもった容貌はすでにして鋭く、堅い鑿でいわば抉られて成ったもののようであったが、それに引きかえて口元は大変やさしく、顎の形は非常にやわらかだった。
トーマス・マン/訳 高橋義孝『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』新潮社(2014年版)45-46頁より引用。




また、『ヴェニスに死す』でも

額は高く秀でて刀傷ででもあるような、深い皺ができている(マン、前掲、141頁)」という表現があって、人となりをあらわすものとしてかなり頻繁に登場するんですよね。


まあもしかしたらドイツ文学特有の、ということではなく、よくあるやつでたまたま私が気になっただけなのかもしれないっすけど面白いですよね。好きな言い回しだ。


そこんところどうなのか少し調べようとしたのですが、あまりそれらしい回答が見つからなかったので、もしドイツ語に明るい読者様がいらしたら何か教えてほしいなと思います笑


それから、二人の著作で名前が出てくるシラーもとても気になりました。

こないだみなとみらい駅に行ったら、壁にバーンってシラーの文章が書いてあって(あるじゃん)、もうこれは読めってことかなって思いました。
……難しそうだから挫折するかもしれんが。


こうやって「あ、ちょうど気になってた!」ってものを思いがけず町なかで見かけたりするとホントわくわくしますよね。


というわけで、はい、長くなったので続きはその2で。